会社案内

Team LeMans は株式会社ルマンのグループ企業として、
各種高性能製品の販売促進並びにそれらのポテンシャルを実証するだけでなく、国内最高峰モータースポーツでの
継続的な活動と実績を背景に、様々な分野の様々なお客様との技術提携、または技術支援の提供を展開しています。

御殿場工場には 自動車関連部品全般の設計/開発/解析を可能にする専門スタッフ、また工作機械や計測機械を有しており、フォーミュラ・ニッポンを頂点とするレース活動を円滑
かつハイレベルで展開することができる体制が敷かれて
います。

その技術と設備、また人材を、参戦している特定のモータースポーツ活動に固執することなく、自動車産業全体の
発展のために貢献、還元できるよう日夜努力しています。モータースポーツという極限の競い合いの中に含まれる
様々なポジティブな要素と、経験を最大限に活用できる分野を常に模索し、これからも Team LeMans は邁進して
参りますので、これを機会に私たちの活動に注目して頂けたら幸いです。

会社概要

社名
株式会社チームルマン
株式会社ルマンのレース部門が2000年に独立、「株式会社チームルマン」として創業開始。 。
代表者
代表取締役社長 土沼広芳
事業
モータースポーツ事業、プロトタイピング、カーボン コンポジット、設計・開発支援など
所在
〒412-0046 静岡県御殿場市保土沢1157-340
TEL / 0550-88-5550 FAX / 0550-88-5889

Team LeMans 〜レースの歴史〜

1967
東京渋谷にて株式会社ルマン商会設立。レーシングカー及び自動車の輸出入業務開始。
1969
レーシング部門設立「チームルマン」正式発足。
1976
当時の国内フォーミュラーレースのトップカテゴリーである全日本F2000に松本恵二を擁し参戦。
第5戦の鈴鹿でスポット出場したF1ドライバーのジャック・ラフィーが、シェブロンB35・BMWで優勝。
1977
前年に続き、全日本F2000に松本恵二が出場。また、海外からF1ドライバーのパトリック・タンベイ、
ケケ・ロズベルグ('82年 F1チャンピオン)らを招いて参戦。最終戦の「JAF鈴鹿グランプリ」で、
同じくF1ドライバーのリカルド・パトレーゼがシェブロンB40/42・BMW に乗り優勝。
1978
全日本F2000から名称を変更した全日本F2に松本恵二が出場。海外から参戦したドライバーでは、
マーク・シュラーが第4戦の鈴鹿で優勝。
1979
全日本F2で松本恵二が初優勝を含む2勝を挙げ、チャンピオンを獲得。
1980
全日本F2に松本恵二が参戦。第5戦鈴鹿で優勝。
1981
全日本F2開幕戦鈴鹿で松本恵二が優勝。この年にステファン・ヨハンソン、テオ・フォビら
(いずれもF1ドライバーとして活躍)も参戦。
1982
全日本F2で松本恵二がシリーズ3位。富士GCでもシリーズ1勝を挙げ、シリーズ3位を獲得。全日本F2には、ジョニー・チェコット、ジェフ・リース、クリスチャン・ダナー(いずれも後にF1ドライバーとして活躍)が出場。
1983
この年からグループC(LM03C)の製作を開始。全日本F2に松本恵二とエイエ・エルグが参戦。
また松本は富士GCシリーズで優勝1回、2位1回の成績でチャンピオンに輝く。
1984
全日本F2と富士GCシリーズに松本恵二が、全日本F2に鈴木利男が出場。また、富士ロングディスタンスシリーズの第1戦富士500kmで、柳田春人/和田孝夫のLM03C・ニッサンが3位入賞。
1985
全日本F2で松本恵二が開幕戦で優勝、シリーズ2位に。また富士GCでは3位となる。さらに10月に富士で行われたWEC in JAPANでは中子修/森本晃生/エマニュエル・ピエロがLM05C・ニッサンで総合2位を獲得。
1986
全日本F2で松本恵二が2勝を挙げ、ランキング4位。富士GCでも1勝を挙げランキング2位を獲得。
また全日本F3では森本晃生が3勝を挙げシリーズチャンピオンに輝く。
1987
この年、全日本F2から全日本F3000へ移行。松本恵二がシリーズ4位に。富士GCシリーズでランキング2位を獲得。9月に行われたWEC in JAPANでは、和田孝夫/アンデルス・オロフソン(マーチ86S・ニッサン)がポールポジションを獲得。
1988
全日本F3000でエマニュエル・ピロ、ジェフ・リースの2台体制で参戦。第5戦菅生ではリースとピロが1-2フィニッシュ。シリーズではピロがランキング3位に。リースはGCシリーズにも出場。この年から富士以外に、
菅生と鈴鹿の各1戦が加わり全6戦となり、3勝を挙げたリースがチャンピオンに輝く。
1989
全日本F3000に前年と同じ体制で参戦。ピロが第4戦鈴鹿で優勝。全日本のタイトルがかけられたGCシリーズはこの年で終了することになったが、ピロとリースのチームメイト同士によるチャンピオン争いとなり、リースがタイトルを獲得。
1990
全日本F3000に黒澤琢弥とジョニー・ハーバートが、レイナード90D・無限で参戦。また、全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権 (JSPC)第2戦富士で、和田孝夫/中子修(ニッサン・R90V)がポールポジションを獲得。
1991
全日本F3000、全日本F3、JSPCと幅広いカテゴリーで活動。F3000第6戦菅生では、ミハエル・シューマッハがスポット参戦。チームメイトのロス・チーバーが優勝、2位にシューマッハが入り、見事1-2フィニッシュを
達成。
1992
全日本F3000でロス・チーバーが開幕戦で優勝し、ランキング3位を獲得。
1993
全日本F3000でロス・チーバーが2勝。最終戦までチャンピオン争いにもつれた接戦も、僅か1ポイント差で惜しくもタイトル獲得ならず。
1994
全日本F3000にロス・チーバーと服部尚貴の2台体制で参戦。チーバーが2勝を挙げ、ランキング3位。
服部も1勝を挙げ、ランキング5位を獲得。
1995
全日本F3000に服部尚貴と山本勝巳の2台体制で参戦。開幕戦で服部が優勝を飾る。
1996
この年より全日本F3000から名称変更された全日本選手権フォーミュラ・ニッポンに、服部尚貴と
ラルフ・シューマッハの2台体制で参戦。チームメイト同士の激しいタイトル争いを繰り広げ、
シューマッハが3勝を挙げチャンピオンを獲得。服部も2勝を挙げ、2点差でランキング2位となる。
チーム部門でも王座に輝き、ドライバー部門とチーム部門の2冠を達成。また全日本GTでは
GT500クラスでデイビッド・ブラバム/ジョン・ニールセンがチャンピオンを獲得。ランキング2位にも
3勝を挙げた服部/シューマッハが入った。
1997
フォーミュラ・ニッポンにノルベルト・フォンタナとエスティバン・トゥエロの2台体制で参戦。
フォンタナが第7戦美祢で1勝を挙げ、ランキング3位。
1998
フォーミュラ・ニッポンにノルベルト・フォンタナと本山哲の2台体制で参戦。本山が3勝を挙げてチャンピオンを獲得、チーム部門でもチャンピオンに輝き2度目の2冠を達成。
1999
フォーミュラ・ニッポンに本山哲と山西康司の2台体制で参戦。全日本GTでは第5戦富士で、
野田英樹/ワイン・ガードナーのコンビが優勝。
2000
フォーミュラ・ニッポンにチームルマンとして野田英樹と五十嵐雄大、チームマレーシアとして
アレックス・ユーンの2チーム体制で参戦。全日本GTでは前年に続き、野田英樹/ワイン・ガードナーの
コンビで参戦。
2001
フォーミュラ・ニッポンはアレックス・ユーンと五十嵐雄大というラインアップ。ユーンはシーズン途中からF1に参戦、代わって山西康司が出場。またマシンメンテナンスを担当したARTAの脇阪寿一選手が第7戦富士で
優勝、ランキング5位を獲得。全日本GTは脇阪寿一/野田英樹のコンビで第2戦富士とマレーシアラウンドで優勝。
2002
フォーミュラ・ニッポンには土屋武士、ドミニク・シュワガーを起用。またARTA(脇阪寿一/金石年弘)のメンテナンスを担当、チーム総合3位に。全日本GT選手権に脇阪寿一/飯田章、GT500 ESSO TOYOTA Team LeMans がシリーズチャンピオンを獲得。
2003
フォーミュラ・ニッポンに金石年弘、土屋武士の2台体制で参戦。第9戦もてぎで金石が勝利、2位1回、また土屋も2位1回を獲得し、チーム総合2位。またTEAM 22 脇阪寿一車をメンテナンス、ドライバーズ総合3位。全日本GT選手権では脇阪寿一/飯田章、GT500 ESSO TOYOTA Team LeMans がシリーズ2位。
2004
フォーミュラ・ニッポンに脇阪寿一、土屋武士に新人の片岡龍也を加えた3台体制で参戦。脇阪が2位1回、
3位2回、また片岡が3位1回の成績を収める。
2005
フォーミュラ・ニッポンに土屋武士、片岡龍也の2台体制で参戦。土屋は3位1回、片岡は2位1回。
2006
フォーミュラ・ニッポンに片岡龍也、高木虎之介の2台体制で、またSUPER GTに片岡龍也/飯田章で参戦。
片岡がFNで3回の表彰台を獲得し、シリーズランキング7位。
2007
フォーミュラ・ニッポンに片岡龍也、高木虎之介の2台体制で参戦。またSUPER GT選手権に
片岡龍也/ビヨン・ビルドハイムで参戦、ランキング9位。
2008
フォーミュラ・ニッポンに本山哲、石浦宏明の2台体制で参戦。SUPER GTは体制を大きく変え、
「ENEOS TOYOTA Team LeMans」として、前年シリーズチャンピオンを獲得した伊藤大輔を起用。
2年目となるビヨン・ビルドハイムとのコンビで参戦するも、伊藤がシーズン中に負傷。
全9戦のうち4戦を欠場し、代わりを飯田章が務めた。伊藤の復帰戦となった最終戦・富士で3位獲得。
2009
フォーミュラ・ニッポンに国本京佑、石浦宏明の2台体制で参戦。石浦が第3戦もてぎで3位獲得。
SUPER GTは伊藤大輔/ビヨン・ビルドハイムで、「LEXUS TEAM LeMans ENEOS」として参戦。
2010
フォーミュラ・ニッポンにケイ・コッツォリーノ、石浦宏明の2台体制で参戦。石浦が第6戦オートポリスで3位獲得。SUPER GTは伊藤大輔/ビヨン・ビルドハイムで、最終戦までもつれ込むシリーズチャンピオン争いを繰り広げた。ランキング4位。
2011
フォーミュラ・ニッポンに「Team LeMans」として大嶋和也、「Team KYGNUS SUNOCO」として石浦宏明の2台で参戦。大嶋が第2戦オートポリスで2位獲得、ランキング4位。石浦が第6戦菅生で2位獲得、ランキング6位。
SUPER GTは伊藤大輔/大嶋和也で参戦、第2戦富士で2位獲得、ランキング11位。
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