花輪 知夫(はなわ ともお)

昭和18年1月9日 埼玉県秩父市 生まれ

昭和33年 埼玉県立浦和高校入学

昭和36年 日本大学入学

 

学生時代は自動車部で活躍、その経験から卒業後の就職先として、株式会社富士スピードウェイを選びモータースポーツ界への第一歩を踏み出す。

 

 


花輪知夫の軌跡

マーチ、ローラ、シェブロンといった往年のレーシングカーの輸入に始まり、日本のモータースポーツ界の黎明期を築くと共に、レーシングカーや自動車関連製品の開発、製造、輸入を通して日本のレーシングチーム活動やモータースポーツ産業を支え、今日のビジネスとしてのモータースポーツを確立した。

1969年レーシング部門「チームルマン」を発足。

F3、F2、GC、F3000、Group-C、FormulaNIPPON、SUPER GTなどトップカテゴリーに参戦し、多くのカテゴリーでチャンピオンを獲得している。

チームルマンには、ケケ・ロズベルグやリカルド・パトレーゼ、ジョニー・ハーバート、ミハエル・シューマッハ、ラルフ・シューマッハといったF1で活躍したドライバーや、松本恵二、服部尚貴、本山哲、脇阪寿一など日本を代表するレーシングドライバーが数多く在籍。

2011年シリーズ終了までに、全カテゴリー合計で45勝、ポールポジション45回、シリーズチャンピオン8回を誇る!

花輪知夫    2012年3月21日  逝去
海外からレーシングカーの輸入やトップドライバーの招聘など、日本のモータースポーツ界の発展に多大な功績を残し、ビジネスだけでなく文化にまで押し上げた、モータースポーツ業界のシステムを作り上げた一人として語り継がれている。

 

歴史
1967 東京都渋谷区広尾に株式会社ルマン商会を設立。
レーシングカーおよび自動車の輸出入業務を開始。
1969 モータースポーツ部門「チームルマン」正式発足。
1971 地上3階、地下1階建ての本社ビル完成。
1976 当時の国内フォーミュラーレースのトップカテゴリーである全日本F2000に松本恵二を擁し参戦。
第5戦の鈴鹿でスポット出場したF1ドライバーのジャック・ラフィーがシェブロンB35・BMWで優勝。
1977

前年に続き、全日本F2000に松本恵二が参戦。

また、海外からF1ドライバーのケケ・ロズベルグ(’82年 F1チャンピオン)、トリック・タンベイ、
パトリック・タンベイらを招いて参戦。

最終戦の「JAF鈴鹿グランプリ」で、リカルド・パトレーゼがシェブロンB40/42・BMW に乗り優勝。

1978 全日本F2000から名称を変更した全日本F2に松本恵二が参戦。
海外から参戦したドライバーでは、マーク・シュラーが第4戦の鈴鹿で優勝。
1979 全日本F2に松本恵二が参戦、初優勝を含む2勝を挙げチャンピオンを獲得。
1980 全日本F2に松本恵二が参戦、第5戦鈴鹿で優勝。
1981

全日本F2に松本恵二が参戦、開幕戦鈴鹿で優勝。
この年にステファン・ヨハンソン、テオ・フォビら(いずれもF1ドライバーとして活躍)も参戦。

1982

全日本F2に松本恵二が参戦、シリーズ3位。海外から参戦したドライバーでは、ジョニー・チェコット、ジェフ・リース、
クリスチャン・ダナー(いずれも後にF1ドライバーとして活躍)が出場。

富士GC(グランドチャンピオン・シリーズ)にも松本恵二が参戦、1勝を挙げシリーズ3位を獲得。

1983

この年からGroup-C(LM03C)の製作を開始。

全日本F2に松本恵二とエイエ・エルグが参戦。

富士GCにも松本恵二が参戦、優勝1回、2位1回の成績でチャンピオンを獲得。

1984

全日本F2と富士GCシリーズに松本恵二が参戦。

全日本F2に鈴木利男が参戦。富士ロングディスタンスシリーズに柳田春人/和田孝夫がLM03C・ニッサンで参戦、
第1戦富士500kmで3位入賞。

1985

全日本F2と富士GCシリーズに松本恵二が参戦、全日本F2では開幕戦で優勝、シリーズ2位。

富士GCでは3位となる。

10月に富士で行われたWEC in JAPANでは中子修/森本晃生/エマニュエル・ピエロがLM05C・ニッサンで総合2位を獲得。

1986

全日本F2と富士GCシリーズに松本恵二が参戦、全日本F2で2勝を挙げ、ランキング4位。

富士GCでも1勝を挙げランキング2位を獲得。

全日本F3に森本晃生が参戦、3勝を挙げシリーズチャンピオンに輝く。

1987

全日本F2から名称を変更した全日本F3000に松本恵二が参戦、シリーズ4位。
富士GCシリーズにも参戦、ランキング2位を獲得。

9月に行われたWEC in JAPANでは、和田孝夫/アンデルス・オロフソン(マーチ86S・ニッサン)がポールポジションを獲得。

1988

全日本F3000にエマニュエル・ピロとジェフ・リースの2台体制で参戦。

第5戦菅生ではリースとピロが1-2フィニッシュ。ピロがシリーズ3位を獲得。

GCにもリースが参戦、この年から富士以外に、菅生と鈴鹿の各1戦が加わり全6戦となり、
3勝を挙げたリースがチャンピオンに輝く。

1989

全日本F3000に前年同様、エマニュエル・ピロとジェフ・リースが参戦、ピロが第4戦鈴鹿で優勝。

全日本のタイトルが掛けられたGCシリーズはこの年で終了することになったが、ピロとリースの

チームメイト同士によるチャンピオン争いとなり、リースがチャンピオンを獲得。

1990

全日本F3000に黒澤琢弥とジョニー・ハーバートがレイナード90D・無限で参戦。

全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権 (JSPC)に和田孝夫/中子修(ニッサン・R90V)が参戦、
第2戦富士でポールポジションを獲得。

1991

全日本F3000、全日本F3、JSPCと幅広いカテゴリーで活動。

F3000にロス・チーバーが参戦、第6戦菅生ではミハエル・シューマッハもスポット参戦。

ロス・チーバーが優勝、チームメイトとなるシューマッハが2位、見事1-2フィニッシュを達成。

1992 全日本F3000にロス・チーバーが参戦、開幕戦で優勝し、ランキング3位。
1993

全日本F3000にロス・チーバーが参戦、2勝を挙げ、最終戦までチャンピオン争いにもつれた接戦も、
わずか1ポイント差で惜しくもタイトル獲得ならず。

1994

全日本F3000にロス・チーバーと服部尚貴の2台体制で参戦。
チーバーが2勝を挙げ、シリーズ3位。

服部も1勝を挙げ、シリーズ5位を獲得。

1995

全日本F3000に服部尚貴と山本勝巳の2台体制で参戦。

開幕戦で服部が優勝を飾る。

1996

この年より全日本F3000から名称変更された全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(FN)に、服部尚貴とラルフ・シューマッハの2台体制で参戦。

チームメイト同士の激しいタイトル争いを繰り広げ、シューマッハが3勝を挙げチャンピオンを獲得。

服部も2勝を挙げ、2点差でシリーズ2位となる。

チーム部門でも王座に輝き、ドライバー部門とチーム部門の2冠を達成。

全日本GT選手権にデイビッド・ブラバム/ジョン・ニールセン組、服部尚貴/ラルフ・シューマッハ組が参戦、

デイビッド・ブラバム/ジョン・ニールセン組がGT500クラスのチャンピオンを獲得。

服部尚貴/ラルフ・シューマッハ組も3勝を挙げシリーズ2位。

1997 フォーミュラ・ニッポンにノルベルト・フォンタナとエスティバン・トゥエロの2台体制で参戦。
フォンタナが第7戦美祢で1勝を挙げ、シリーズ3位。
1998 フォーミュラ・ニッポンにノルベルト・フォンタナと本山哲の2台体制で参戦。
本山が3勝を挙げてチャンピオンを獲得、チーム部門でもチャンピオンに輝き2度目の2冠を達成。
1999

フォーミュラ・ニッポンに本山哲と山西康司の2台体制で参戦。

全日本GTに野田英樹/ワイン・ガードナー組が参戦、第5戦富士で優勝。

2000

株式会社ルマンのモータースポーツ部門であったチームルマンが「株式会社チームルマン」として創業開始。

フォーミュラ・ニッポンにチームルマンとして野田英樹と五十嵐雄大が参戦。

チームマレーシアとしてアレックス・ユーンの2チーム体制で参戦。

全日本GTでは前年に続き、野田英樹/ワイン・ガードナー組が参戦。

2001

フォーミュラ・ニッポンはアレックス・ユーンと五十嵐雄大の2台体制で参戦。

ユーンはシーズン途中からF1に参戦、代わって山西康司が出場。

また、マシンメンテナンスを担当したARTAの脇阪寿一選手が第7戦富士で優勝、ランキング5位を獲得。

全日本GTに脇阪寿一/野田英樹組が参戦、第2戦富士とマレーシアラウンドで優勝。

2002

フォーミュラ・ニッポンに土屋武士とドミニク・シュワガー、本山哲と山西康司の2台体制で参戦。

また、ARTA(脇阪寿一/金石年弘)のメンテナンスを担当、チーム総合3位。

全日本GT選手権に脇阪寿一/飯田章がGT500 ESSO TOYOTA Team LeMansで参戦、シリーズチャンピオンを獲得。

2003

フォーミュラ・ニッポンに金石年弘と土屋武士の2台体制で参戦、第9戦もてぎで金石が勝利、2位1回、土屋も2位1回を獲得し、チーム総合2位。

また、TEAM 22 脇阪寿一車をメンテナンス、ドライバーズ総合3位。

全日本GT選手権では脇阪寿一/飯田章がGT500 ESSO TOYOTA Team LeMansで参戦、シリーズ2位。

2004

フォーミュラ・ニッポンに脇阪寿一、土屋武士、新人の片岡龍也を加えた3台体制で参戦。

脇阪が2位1回、3位2回、片岡が3位1回の成績。

2005 全日本GT選手権として開催されていたカテゴリーが、2005年より国際シリーズ化しSUPER GTとなる。
フォーミュラ・ニッポンに土屋武士と片岡龍也の2台体制で参戦。土屋は3位1回、片岡は2位1回の成績。
2006

フォーミュラ・ニッポンに片岡龍也と高木虎之介の2台体制で参戦、片岡がフォーミュラ・ニッポンで3回の表彰台を獲得し、シリーズ7位。

SUPER GTに片岡龍也/飯田章組が参戦。

2007

フォーミュラ・ニッポンに片岡龍也と高木虎之介の2台体制で参戦。

SUPER GT選手権に片岡龍也/ビヨン・ビルドハイム組が参戦、シリーズ9位。

2008

フォーミュラ・ニッポンに本山哲と石浦宏明の2台体制で参戦。

SUPER GTは体制を大きく変え、「ENEOS TOYOTA Team LeMans」として、前年シリーズチャンピオンを獲得した伊藤大輔を起用。

2年目となるビヨン・ビルドハイムとのコンビで参戦するも、伊藤がシーズン中に負傷。

全9戦のうち4戦を欠場し、代わりを飯田章が務めた。

伊藤の復帰戦となった最終戦・富士では3位を獲得。

2009

フォーミュラ・ニッポンに国本京佑と石浦宏明の2台体制で参戦、石浦が第3戦もてぎで3位獲得。

SUPER GTは伊藤大輔/ビヨン・ビルドハイム組が「LEXUS TEAM LeMans ENEOS」として参戦。

2010

フォーミュラ・ニッポンにケイ・コッツォリーノと石浦宏明の2台体制で参戦。
石浦が第6戦オートポリスで3位獲得。

SUPER GTは伊藤大輔/ビヨン・ビルドハイム組が参戦、最終戦までもつれ込むシリーズチャンピオン争いを繰り広げシリーズ4位。

2011

フォーミュラ・ニッポンに「Team LeMans」として大嶋和也、「Team KYGNUS SUNOCO」として
石浦宏明の2台で参戦。
大嶋が第2戦オートポリスで2位獲得、シリーズ4位。

石浦が第6戦菅生で2位獲得、シリーズ6位。

SUPER GTは伊藤大輔/大嶋和也組が参戦、第2戦富士で2位獲得、シリーズ11位。

2011年シリーズ終了までに、全カテゴリー合計で45勝、ポールポジション45回、シリーズチャンピオン8回を誇る。

2012 3月21日 逝去(享年69歳)